Sep.13, 2005

「ものづくり」だけで済ませていいのか?

[Diary]

ぼーっと見ていたNHKスペシャルの再放送。

ボーイングとエアバスによる旅客機の開発競争の中で、日本の企業が果たしている役割の紹介。
最新技術を用いた旅客機の開発を支える日本企業の技術力、いわゆる「ものづくり礼賛」とも取れなくもありません。

カーボンファイバー製の構造材や、無垢材の精密な三次元切削を可能とする工作機械など、確かに素晴らしいものだと思うわけですが。
同時に、それで終わったらイカンだろう、とも思うわけです。

いくら個々の技術が傑出していても、それを製品、あるいはシステムとして纏め上げなければ価値は出ないわけで。
「欧米の新型機開発ですら、日本企業の技術力に依存しています」と礼賛するんじゃなくて、「これだけの技術力があって、何故日本では旅客機を作れないのか?」と問題提起するべきなんじゃないかと思うわけです。

もちろん、航空宇宙業界というのはそう簡単ではありません。
参入しても儲けを出すのは至難というビジネス上の問題もそうですが、外国からの有形無形の圧力だって予想されます。特に某ジャスティス王朝。
しかも、こうした最先端産業を成立させるには、今や途方もなく広い分野での基礎技術力と、それらをハード、ソフト、そして組織までも含んだシステムとして纏め上げる能力が求められます。
それらは一朝一夕で築けるものではなく、国情や文化の影響を受けることを考えれば、ほとんど子育てのような様相を呈してきます。最後に頼れるのは自分の育てたものだけ、という意味においても。

それでも、補助金を投下したり国際共同や軍産複合してみたりしながら、国策として航空宇宙産業に梃入れをしている国が少なくないのは、その優越が国益に結びつくと判断しているか、生殺与奪を他国に握られることに危機感を持っているからでしょう。
その点、わが国はというと…いやはや。

その結果が、戦略や方針を定めるべき上層部の無能と無定見を現場の血の滲むような努力によって補い、そうやってやっと上げた成果を「男たちのドラマ」として浪花節に仕立て上げるという構図です。
浪花節そのものに善悪はありませんが、「夢よもう一度」とばかりに、過酷な条件でも努力と根性で成功することが当たり前で、失敗すれば吊るし上げ、袋叩きにする風潮を生んだ点には責任があると思います。

先に挙げた「ものづくり礼賛」にも、紹介された個々の企業の素晴らしさとは全く別の部分で、そうした危うさが潜んでいるのではないだろうか、と思ったわけです。

Here are 0 Comments & 0 Trackbacks