Oct.02, 2005

赤い10月

[Diary]

この週末は某A庁にお勤めの知人と酒を片手にシミュレーションゲーム。

お題は先月と同じく、COMMAND MAGAZINE付録の北海道戦争

前回は私が防衛側でしたが、終始相手の猛攻に翻弄されていい所なく。反攻が旨く行って結果だけならどうにか辛勝とは言え、元々そういう展開になるようにデザインされているシステムに助けられただけなので、精神的には完全に敗けておりました。

攻守ところを換え、今回は私が攻撃側。今回こそはと気合を入れます。

今回採ったのは真正面に穴を開けて主力を流し込むだけという単純な力押しですが、まずまず順調に進捗。いよいよ正念場の山地突破の段階になったところで、相手が致命的な移動ミスを犯してしまいます。

その結果生じた間隙を突かれ、防衛側は山岳地帯における防衛線を構成する主力スタックが全て包囲攻撃を食らって壊滅という致命的な損害を蒙って戦線が崩壊。必死に戦力をかき集めて第2有畑ラインの防衛線を再構築するも、防御側にとってゲーム中で最も厳しい冬季に当たったために持ちこたえられず、逐次投入の謗りを敢えて受けながらの必死の防戦も空しく函館陥落。なんと日本民主主義人民共和国軍のマルクス・レーニン的勝利達成と相成りました。万歳。

このプレイのターニングポイントは、第1有畑ライン通過後の防衛戦において、小樽方面を担当した1スタックを分散させず、スタックのまま小樽前面で敵主力の二個親衛戦車師団を押さえ込もうとした移動でした。この一手で生じた間隙が全ての崩壊の引き金になったことを考えると、悔やみきれないミス(と本人切腹のジェスチャー)。某国営放送であれば「今日のその時・北海道防衛戦線崩壊の瞬間」とテロップが付いたことでしょう。

勝ちは拾わせて貰ったものの、一手が全てを決してしまうSLGの厳しさというのを目の当たりにした一戦でもありました。明日は我が身かもと思うと、厳しい遊戯です。

その後は別号の「河合継之介・最後の賭け」をテストプレイ。維新の折、家老自らガトリング砲を運転して敵に臨んだというアツいエピソードを残す長岡藩・河合継之介の戦いが題材。(私にとっては)えらく抽象的で解りにくいルールだったので、これはテストしただけで勝敗はなし。

私はその経歴上、SLGの経験はほぼ白紙に近いのですが、少しずつ勉強してまた誰かと遊んでみようかなとも思います。機会があれば、ですが。

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