Jun.24, 2006

ところで、どの辺がχなのか。

[American PocketWatch]

先の記事は、いろんな意味で「プロジェクトX」です。それは、単に体裁の問題ではありません。

私には、その内容そのものが、件の番組に非常に良く似た構造を持っているように思えるのです。

アメリカ鉄道時計に関する解説の大半は、大筋で先の話と一致するはずです。現行ボール(ご多分に漏れずブランドだけスイスに渡ったクチ?)の日本代理店なんかにも力の入った解説記事があったりしますが、概ね内容は合致しています。

では、何が問題なのかというと、

問題の事故の内容からして虚実入り混じり

だったりするところに問題があります。全部が嘘というわけではないものの、事実とはかなり違う部分もあり、そのまま定説として通用させるには問題のある内容なのです。もっとも、これは件の日本代理店が悪いのではなくて、元々の資料に問題があるためです。

その資料というのは、ジェームス B. モロー(James B. Morrow)の著作によるもので、1910年、ウェブ C. ボールへの個人インタビューから起こされたものです。キプトンの事故に関して最も一般的に引用されているものらしいのですが、事故から18年あまりも経ってからの回想録に正確さを期待すること自体、問題があるといえます。

反証として、当時の新聞記事を挙げます(私のヘタクソな超訳では不安があるので、原文を併記しておきます)。

ニューヨーク・タイムズ 1891年4月19日 (コーネル大学図書館の厚意による) (New York Times, April 19, 1891 Courtesy Cornell University Library.)

八名死亡 レイクショア鉄道で激しい衝突事故
(EIGHT PERSONS KILLED. A BAD COLLISION AND WRECK ON THE LAKE SHORE ROAD.)

オハイオ州クリーブランド、4月18日発
今晩早く、レイクショア鉄道、キプトン駅(クリーブランドの西約40マイル)で恐ろしい衝突事故が発生し、六人の郵便局員と二人の機関士が死亡した。
(Cleveland, Ohio, April 18, A frightful wreck occurred on the Lake Shore Railroad as Kipton Station, about fourty miles west of Cleveland, early this evening, in which six postal clerks and two engineers were killed. )

東行きの郵便急行列車No.14が、No.21、トレド急行と衝突した。後者はちょうど、郵便急行列車を通過させるために待避線に入ろうとしていたところだった。
(The fast mail No.14, bound east, colided with No.21, the Toledo express, just as the latter train was about to pull on the siding to let the fast mail pass.)

郵便急行列車はフルスピードで走っていて、衝突の衝撃は、双方の機関車と郵便車三両、そして貨車一両が完全に破壊されるほどであった。
(The fast mail was running at full speed and the force of collision was so great that both engines, three mail cars, and one baggage car were competely wrecked.)

(死亡者のリスト(八名))
(Following is the list of the dead:
EDWARD BROWN, engineer of No.21, Toledo, Ohio.
CHARLES A. TOPLIFF, engineer of No.14, Toledo, Ohio.
E. J. NUGENT, postal clerk, Cleveland, Ohio.
CHARLES HAMMIL, postal clerk, Elyria, Ohio.
E. F. CLEMENS, postal clerk, Elyria, Ohio.
JHON J. BOWERFINE, postal clerk, Elyria, Ohio.
JAMES McKINLEY, postal clerk, Conneaut, Ohio.
C. H. McDOWELL, postal clerk, Elyria, Ohio.)

(怪我人のリスト(二名))
(Starkey, Fireman of No.14, shoulder dislocated and leg broken
Danzig, son of section foreman, struck by wreckage and badly hurt.)

脱線した客車はない。
(None of the passenger cars left the track.)

これを念頭に置いて前述の事故についての内容を検証します。ちなみに、キプトンというのはこの辺りです。話中のクリーブランド、エリリア、オパーリンとの位置関係も併せてご覧下さい。

まず、事故の日付からして食い違っていますが、これは18日の夕方に起こった事故が19日付の新聞に載ったためではないかと推定されます。

次に、列車の番号や名前が違います。No.14をNo.4と間違えているのは記憶違いなのか聞き違いなのか。対する列車はNo.21、トレド急行。これを"Accommodation train"(普通列車。「アコモデーション」は固有名詞ではなく、訳の間違いと推測される)と呼んでしまっており、その記憶のほどが疑われる内容となっています。

そして、死傷者の数にも間違いがあります。8人を11人と言い間違える合理的な理由はないように思われます。

つまり、事故に関するボールの記憶はかなり曖昧であり、信憑性には問題があると言わざるを得ません。

ここで挙げた新聞記事は第一報的なものなので、全ての真実というわけではないと思われますが、状況を想像すると、No.21は機関車部分に被害が集中しており、客車は脱線していません。この事から、No.21は待避線に入ろうとしていたのではなく、待避線から出ようとした機関車にNo.14が突っ込んだものと推定されます(そうでなければ、客車が無事である理由を説明できない)。

ただし、事故の原因が時計の誤差にあった点までが間違いであったことを示す資料は見つけられていないので、これが正しいものとすると、No.21は時間に余裕があるから速度を落としたのではなく、一度待避線には入ったものの、時間の余裕を見誤ったために先行できると誤断し、待避線から出ようとしたのではないかと推測されます。

さて、その後の監査システムに繋がる流れは大筋で間違っていないと思われます。しかし、時間の調査結果の酷さにはいささかの誇張が含まれている可能性があります。というのも、ボールが監査システムを持ち込む以前は全くの野放しだったわけではなく、時計検査官に時計宝石商のウィリアム・ウォルコット(William Walcot)という人物を置いて路線の時計を検査する体制が存在したことが分かっているからです。

また、時計の検査や時間の管理システムについても、決してボールがその嚆矢であったわけではありません。その例の一つとして、ジョン C. アダムス(John C. Adams)という人物の特許、"The Adams System of Time Records"というものの存在が研究者によって指摘されています。結論としては、ボールに先行すること35年、少なくとも1853年の時点には、標準鉄道時計や監査システムに類するものは存在していたということになります。

このような情勢下で、五大湖の周囲を巡る重要な路線で、ボールが言った(とされる)ような粗悪な時計や杜撰な時間管理が横行していたかというと、さすがに疑問を覚えざるを得ません。これは、事故当時からしてもさらに「昔の」時代の話が混同されたか、話を膨らませるための誇張と考えるのが妥当ではないかと考えます。

ボールの考案したシステムは史上初ではなかったにせよ、継続的・実用的に実践され、結果を残し、広汎に採用されたという点では間違いなく最初の、そして最大の成功例です。その実績と栄誉には疑う余地はありません。

問題は、そうした評価が確立した後年になってからこのような回想録が出版された事にこそあるように思われます。つまり、ボールの成功と栄誉を称揚する(結果となることは分かっている)ことに意識が向きすぎ、システムの系譜についての歴史や事実関係の検証を等閑に付したのではないでしょうか。

全てが嘘ではないが、演出過剰で時に創作まで混入する――これは、まさにプロジェクトXの特徴そのものです。

だから、前の記事は敢えて不正確な「定説」に従い(一部想像で補いまでして)件の番組調にまとめた、というわけです。如何だったでしょうか(笑)。

この調査で参考にさせて頂いたNAWCCの記事からは、ボールに関する興味深い記述もいくつか出てきています。その辺りは、おいおいまとめて追記していく予定です。
Here are 2 Comments & 1 Trackbacks

Comments

From :あしなが : 2006年06月26日 00:47

さっそく、読みました!NAWCCの記事や当時の新聞までも丁寧
にリサーチした内容は大変レベルの高い内容となっており、勉
強になりました。この内容と仕事(調査の仕方)が、多くの人に
よって確かめられ、理解され、受け入れられていけば、日本の
アメリカ時計ファンの常識が改変され、知識的な面で大きく飛
躍するであろう・・という素晴らしさと内容を持っています。
とにかく感激しました。また、このHPオシャレですね~。

私は現在、それほど一所懸命ではありませんが、ELGIN社の資
料を集めだし、時計もそこそこ揃ってきたので、余裕が出来た
らHPを開設して公開しようかなぁ・・と、思っていたところで
すが、このHPを見ながら、あまりいい加減なモノはいかんな
ぁ・・と仕事にとりかかる前から反省しております(笑)。
時計やHPに関していろいろご教授お願いします。

あと、お友達のELGIN G156とても素敵です。ショップの銘が
機械に刻んであるものは結構希少でなかなか羨ましいです
ね・・と、お友達にお伝えください。では。

追伸:メールアドレスは、H_の所を小文字のhに訂正してくだ
さい。

From :PsyonG : 2006年06月27日 00:40

過分なお言葉、ありがとうございます。一層の励みになります。

以前吉祥寺で常連の方から「Elginの事ならあしながさん」と仄聞しております。どんな内容になるか、今から楽しみです。私で役に立つ事であればお手伝い致しますので、遠慮なくお申し付け下さいませ。