Mar.13, 2010

Waltham '72 Model(Grade Variations)

[Watch Collection]
'72のバリエーションは意外と多彩。この機械は上級グレードの"Amn. Watch Co."で、中期に製造されたもの。

ここでは、構成の都合上触れられなかった'72の各グレードについて解説していきます。

とはいえ、現物が手元にあるわけでなし、写真や画像の引用も著作権上問題アリなので、基本的に文字だけの解説になりますが。興味を持たれた方は、記事中の単語をキーワードに検索の旅に出られるのも一興かと。

そんなわけで、あくまで余録ではありますが、何かの役に立てば幸いです

なお、この時代の時計製造におけるリードタイムは数ヶ月から数年に及ぶこともあり、そのためシリアルナンバーから推定される年代と機構上の特徴が必ずしも一致しないケースが散見されるようです。実際には共食い整備や部品交換の可能性があることも考えると、ある意味闇の中な部分もあります。

機構的仕様の変遷

'72は3/4プレートなどの構成こそ同じながら、部品レベルでは数々の仕様変更を行っています。全てを網羅しているわけではありませんが、そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

クイック・トレイン化
最初期のムーブメントでは1時間あたり16200振動であったものが、S/N1000000後にはその殆どが(最終的に業界標準となる)1時間あたり18000振動の輪列を備えるようになりました。
4番車を72歯から80歯に変え、ガンギ車のカナの形状を変更しただけではありますが、従来の8葉を使うものを改造した例もあるそうです。
針合わせ機構の改良
針合わせ時に接続されるツヅミ車(18歯から50歯へ)とコテツ車(12歯から32歯へ)の仕様が変更されています。歯数を増やすことで、レバー切り替え時の針の動揺が抑えられました。また、巻上げ時に筒カナを針合わせ位置から離しておくためのバネも追加されています。
歯底円の変化
1888年頃を境に、歯車の歯と歯の間の形状が変化しています。従来は歯と歯の間が真っ直ぐ結ばれるような形状であったものが、丸みを帯びた凹みを持つようになりました。理屈の上では、角が取れれば応力集中が避けられて強度が上がる、とも考えられますが、単なる工作機械の代替わりなのか、意図的な仕様変更なのかはよく解りません。
ゼンマイ解放機構の変化
S/N 1700000後頃からは、香箱下クリックが、地板の縁からつま先でゼンマイを解くことができる方式に変更されました。生産性、操作性ともに向上し、洗練の度を増したといえます。
アンクルの変更
2ピース構造でカウンターウエイト付き、角形の振石に対応した円形の窪みを持つフォーク、という初期のアンクルは、振石が"D"字型をしたものに変わったことからフォークの窪みが角形となり、S/N 4000000あたりからはカウンターウエイトを持たない、鉄または非磁性合金の一体型へと変化しました。
巻き上げヒゲの採用
S/N 2000000(1882年頃)には、ほとんどの個体が巻き上げヒゲを採用するようになりました。ただ、後期のしかも最上級グレードで平ヒゲを採用している個体もあり、研究者を悩ませています。
Non-Magnetic
まれに"Non-Magnetic"とマーキングされた個体があります。読んで字のごとく、非磁性合金を使用したもので、通常のバイメタルより色の明るい天輪と、白色のヒゲゼンマイを具えています。ただし、これらを具えていながらマーキングを持たないものもあります。

その他、グレードに応じて素材や仕上げに差別化が行われています。より上位のグレードになるほど、金製部品や青焼きネジといった高級な部品が増えていきます。

American Watch Co.

経営統合と改称により、後のWalthamとなる"American Watch Company"が成立したのは1860年。

その社名そのものである"American Watch Company"のグレード名は、同社の最高の製品の代名詞として用いられてきました。1885年、社名こそ"American Waltham Watch Company"に変わりますが、"American Watch Co."の名は最高グレードのムーブメントを示すものとして世紀が変わってなお相当の期間留保されています。

'72 modelにおけるこのグレードが当時の最高峰であったことは、1876年のPhiladelphia Centennial Exposition(フィラデルフィア100周年博覧会?)に展示されていたことなどがその傍証と言えるでしょう。

工場の説明も誇らしく「最上級ルビー21石ゴールドセッティングの最高級ニッケルムーブメント」と謳っています。

ただ、最初の先行生産品はまだこうした説明を世に出す前のものだったようで、少々違いがあります。

これらは概ね15石にガンギ車の伏石と二番車の受板側の3石を加えた18石で、金製のアンクル受けを持っていました。続く製品は21石でニッケルのアンクル受けを持つようになります。

'72の上級グレードの特徴である広い受板を彩るダマスキン、丸穴車、角穴車を彩るエッチングはこのグレードでその豪華さ、絢爛さの極致を見せてくれます。その優雅さ、優美さは言うに及ばず、個別のロット内さえ多くのバリエーションを見せるその多彩さは特筆もの。現存する個体の中でも、ダマスキンのパターンが全く同一、という例は非常に少ないようです。

1885年あたりまでは、伏石とレギュレータを固定するためにネジ留めされているテンプ受けのドームが金製であったりと贅をこらした造りではありますが、奇妙なことにこのグレードでなおヒゲゼンマイに平ヒゲが使われている個体があります。

資料に混乱があり、生産数の把握は研究者達が地道に調査を重ねていったようです。このレポートの時点では、1872年から87年までの21ロット、1200個のハンターケース仕様と600個のオープンフェイス仕様が製造された、とされます。

Amn Watch Co.

1872年に、新シリーズである"I"モデルの立ち上げに使用されたグレードです。本格生産期間である1891年までの間を通じて定期的に供給されました。総生産数は9000弱。

最上級に次ぐ二番目のグレードと位置づけられ、ハンターケースとオープンフェイスの両方のスタイルで製造されています。

石数は15または16石。どういうわけか後述の下位グレード"Am. Watch Co."にも16石仕様の個体があったりという混乱も見られます。"Amn. Watch Co."が16石で"Am. Watch Co."が15石、と単純に区切れば話は簡単だと思われますが、何故このようになったのかは謎です。

初期は真鍮留めのギルト仕上げでしたが、後には工場の仕様書で「ルビー16石ゴールドセッティングの高品質ニッケルムーブメント…」と謳われるようになり、さらには金製の二番車を備えるようになります。

受板にある二番の穴石は全て"raised setting"と呼ばれる高く盛り上がったシャトンによってセットされていましたが、文字盤側には穴石がありません。また、全て姿勢調整が施され、金チラネジ付きのテンプを備えています。

最上級から二番目のグレードながら、16石の"Amn. Watch Co."グレードのムーブメントは当時の重要な精度競技会で勝利しており、Walthamにとって良い宣伝材料になっていたようです。

Am. Watch Co.

"Am. Watch Co."グレードは品質上三番目の位置づけとされ、1878年に"Park Road"の終息直後に発売されました。

ハンターケース、オープンフェイスの両仕様があり、ギルト仕上げ、ニッケル仕上げもある多彩なモデルです。

大抵はリスト通りの15石仕様ですが、まれに16石(二番車の受板側に石が入っている)仕様の個体があり、さらにはゴールドセッティングやゴールドセンターホイールを持つものさえあります。ここまで来ると、仕様の上ではほぼAmn. Watch Co.と同じになりますが、あくまで少数。このグレードの大多数はニッケルの真鍮セッティングで"Patent-Heart"レギュレータを備えるものであったようです。

しかし、元々名前が一文字しか違わないのでは混乱が生じて当たり前。さらにはAmn Watch Co.グレードで15/16石と表記されているものの大半が15石のAm. Watch Co.グレードのムーブメントであることが明らかになったことでさらに混乱は深まるばかり。

そのためか最終的に"Riverside"グレードに置き換えられる形で生産を終了しましたが、それまでの推定生産数は10000強程度と、'72の中では多い部類に入ります。

Park Road

最高級を目指す'72の中では特異なモデルで、部品の構成が他のグレードとは(あまり良い意味ではなく)異なっています。

全てハンターケース仕様、ギルト仕上げ。アンクルの爪石は角形で、レギュレータはストレート型と、'72にその名を連ねるグレードでありながら、どこか中途半端さを感じずにはいられないちぐはぐさがあります。最初11石として製造され、後に"4pr extra jewels"として15石に修正されるものもあるなど、どうもスッキリしない内容です。

当時としても人気のあるグレードではなかったようで、1877年を最後に生産を終了しました。総生産数は3500~3750ほどということで、数の上では稀少です。

一見しての特徴は窪みも何もない受板の上に無造作に取り付けられた丸穴車と角穴車。「外からクリックが見えない」という'72の識別点についての唯一の例外で、これまた無造作に留められているクリックスプリングが角穴車と噛み合っています。

後期の製品になるとクリックスプリングは廃され、他のグレードと同じように歯止め用の歯車が香箱下に配置されるようになったそうですが、何故機構そのものが変わる(そのため、香箱真も独自の物が必要になる)ような変種がラインナップされたのか理解に苦しむ、とレポートでは述べられています。

ここからは想像になりますが、私はコストダウンのための実験の一環だったのではないかと考えています。巻き上げと歯止めを別々の歯車で行い、さらにリリース機構を設ける必要のある'72の構造は間違いなく高コストです(それが鍵巻きの名残ではないか、という私見は前述のとおり)。この機構を一つのクリックスプリングに置き換えれば、部品点数や切削行程は間違いなく削減できるからです。

それが一般化しなかったのは、その外見が他の'72や鍵巻きのムーブメントと比べてあまりに異質であること、有り体に云えば見栄えが悪く、フラッグシップモデルには相応しくないという批判があったからではないか、と想像しています。

従来の歯止めにクリックを地板外縁部に配した構造は、これらを踏まえて考案され、外見を損なうことなく一定のコストダウンに成功したため、クリックスプリングを上部に持つ方式は不要と判断された、と考えれば、このグレードが少数かつ短命に終わった理由にも一応の説明がつくように思います。

単体で見た場合はどこか歪で中途半端な印象を持たれがちですが、'72全体、ひいては後年の機械への変遷、を考察する資料、という意味では興味深いグレードです。

Riverside

Waltham懐中のペットネームとしてポピュラーな"Riverside"の名は8サイズのmodel 1873から導入されていたものですが、この時点から好評を博していたようです。

その後、この名は各モデルの中でも平均より質の高いムーブメントに対して用いられるようになりました。さらに高級なムーブメントに対して"maximus"のような修飾が付くようになったのはご存じの通り。"Riveside"の名を冠するムーブメントの生産は実に1935年まで続いています。

'72ムーブメントを用いた"Riverside"を"'72 Riverside"などと称したりもしますが、製造が始まったのは1884~1885年、"Am. Watch Co."グレードのフェードアウトに合わせて発売されたようです。社名が"American Waltham Watch Company"に変わったことにも関係があるかもしれません。

質と量の両立を意図してか仕様のバラツキは少なく、概ね当時の標準的な15石としての仕様が1890年の最終生産まで維持されていたようです。生産数も'72のグレードの中では最大の15,000以上。

他のグレードにあるような突然変異のような上級仕様の個体は少ないようですが、ギルト仕上げにダマスキン仕上げを加えたものがあります。

一部のロットは5分リピーターや30分積算計付きスプリットセコンドクロノグラフなどのベースとして使われたようです。

定評のある性能と、外周部の柱で受板・地板を接合する構造から来る内部空間の余裕と堅牢さが、こうした機構の後付けには好都合だったのではないか、と私は想像しています。

敢えて普及帯のグレードをこうしたカスタム機のベースに充てたのは、高級仕様・高級仕上げの機械はそれ自体に付加価値があるため、敢えて弄る必要がなかった、有り体に云えば「そのままで高価く売れるんだから改造までする必要はない」ということだったのではないでしょうか。

Royal

1886~89年にかけて製造されたグレードで、全てハンターケース仕様のギルト仕上げ。製造数は9,000強。

最初の6,600個は13石仕様ですが、よくある三番、四番の受板側にだけ石を入れたフェイクっぽい仕様ではなく、15石のレイアウトからアンクル真の2石を省いたものです。後期の2,500個ではこれを足して15石となっています。

"Adjusted"のマーキングを持たず、チラネジにも真鍮を用いるなど、廉価版の色が濃いモデルです。

Special/Champion

1954年版のリストに"Special"グレードとして記載されている16石仕様の'72が200個ほどあるようです。

別の資料(手書)によれば全て"Champion"とマーキングされている、とされています。

研究者は"W^m Ellery"グレード(実際は1877 model)を引き合いに出し、これはグレードというよりはプライベートブランドではないか、と指摘しています。

'72はNashua部門の生み出した歴史に残るモデルですが、その伝統を冠する機械に相応しく、ダマスキンを加えたギルト仕上げが施されています。

とはいえ、Nashua部門もまた中核的な人々の退職によって消えつつあり、このグレード(ブランド)?はその記念だったのかもしれません。

「この頃、その後継である'88モデルが歯車の問題を抱えたまま既に20000以上も売られていたが、それはまた別の話である。」などと解説の最後に付け加えているあたりに、またしても研究者のイギリス的な皮肉を感じるのは私だけでしょうか。

"'88 maximus"というとダイヤモンドエンドストーンなどを採用した豪華なムーブメントですが、この記述からすると初期には何らかのトラブルがあったようです。

Saw-tooth balance

特許文書にある"Saw-tooth"天輪。特異な形状をしているが、イギリスのクロノメーターのZバランス(だったっけ?)にも通じる雰囲気を感じる

グレード名ではありませんが、"American Watch Co."の中にはさらに特製のテンプを採用したものがあります。

その外見から"saw-tooth balance"とも通称される天輪は、設計者であるC.V Woerd氏の発明であり、この機構についてはそれだけで別に記事があったりもしますが、ここではは簡単に触れるに留めます。

この機構を搭載しているものの中には受板に"Woerd's Pat. Compensating Balance,"とマーキングされているもの、マーキングのないものがあるようです。

この機構の眼目は温度補正機能のさらなる向上にあります。

異なる素材同士を貼り合わせて成形し、素材の熱膨張率の差を利用して意図的に変形を生み出すことで天輪の直径を変化させる、という原理はバイメタルの切りテンプと同様ですが、その能力をさらに追究したものといえます。

通常のバイメタルとは違い、腕に接続されている根本の部分が三角形の断面を見せています。これがノコギリの歯を噛み合わせたように見えることから"saw-tooth"と呼ばれています。素材自体も従来の鉄と真鍮ではなく、ブロンズ合金の一種(原典では"bronze alloy"とだけあり、それ以上の詳細は不明)が使用されています。

根本の構造が特殊でチラネジ用の穴が開けられないのか、チラネジは腕の先端部分に限って通常の2~3倍という巨大なものが取り付けられています。

異種素材同士の接合面積を増やすことでより大きく、敏感に伸縮を行うことができるのではないかと推測されますが、実物を見たわけではないので実際のところ効果のほどはよく判りません。

研究者の見解は、「得られる精度向上分に比して製造コストの高騰と特別な調整を要するというデメリットが大きく、結果として放棄されることになった」という方向で概ね一致をみているようです。

なお、前述のマーキングがあっても通常のバイメタル切りテンプのように見える例がありますが、これは素材のみ"saw-tooth"で用いられている組み合わせ(真鍮とブロンズ合金)になったもので、製造・調整上のコスト問題への対策だったのかもしれません。

元々稀少なグレードのさらに一部だけが搭載していた機構なだけに、そう滅多に実物にお目に掛かる機会はないでしょうが、なんともロマン溢れる仕様であることは間違いありません。

ちなみに、Woerd氏自身も"saw-tooth"仕様に加えてLugrinが設計したスプリットセコンドクロノグラフ機構を追加した'72(O/F)を所有していたそうです。いわばワンオフの特製機といえます。

The Stone Movements

通常の製品からは大きくかけ離れますが、プレゼンテーションあるいはエキビジションとして制作された「宝石時計」とでも呼ぶべき例があります。

受板(いくつかの例では受板と地板の両方)を水晶または瑪瑙で作った'72ベースのムーブメントで、制作したのは1880年代後半、Walthamの宝石加工部門の責任者、Wm. R. Willsとあります。

WalthamがWorld's Columbian Exposition(1892~1893 シカゴ)に出展したエキビジション・ウォッチはケース本体も水晶で作られており、ボウとペンダント、竜頭、巻真、固定用ブリッジは18金で出来ていたといいます。

受板を水晶で作った例として4サイズのムーブメントは比較的知られていますが、'72ベース(つまりサイズもそれ相応?)の例はごく少ないようです。その数もはっきりしませんが、50個あるかないか、といったところのようです。

完成の暁にはロンドンのオフィスに運ばれる予定となっていた例では、「かつてなく最高の出来栄えを見せるダマスキンの入ったギルト仕上げの地板と丸/角穴車を持ち」「かつてないほど磨き上げられた透明な水晶の受板を持ち、輪列の軸にはゴールドジュエルセッティングのルビー穴石が簡潔に取り付けられている」、と記載されていたそうです。

ここまでくるともはや博物館級の代物ですが、その博物館にさえ滅多に見当たらないというのだから、一体この世の何処で眠っているのやら。

一度でも目にする機会があればまさに眼福といえるでしょう。

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