Jul.01, 2014

Voyage.02「タダビト」

[艦これ二次創作「菫色の暁」]

はじめに

 このカテゴリにある一連の記事は、『艦隊これくしょん -艦これ-』(DMM.com/角川ゲームス)の二次創作小説となります。

 なお、作中の世界観、キャラクタ等に関する解釈・表現は、あくまで個人的なものであることをお断りしておきます。

 上記を了解の上、ご清覧頂ければ幸いです。

煉獄の記憶

「……鎮守府、か」

 営門を前に、その士官は感慨深げに建ち並ぶ建物を見渡した。

 さして高くもない上背、精悍とは言い難い顔立ち。着ているのが海軍第二種軍装でなければ、役場の隅で帳面でも繰っているのが似合いの小役人、とでも言うべき風情である。

 だが、彼が一瞬海に向けた眼差しはぞっとするほどに昏い。

 日本皇国海軍中佐、友永幸志郎。海軍病院から――否、地獄から帰ってきた男。 

 その眼差しの先には、煉獄の記憶が渦巻いていた。

PHILIPPINE SEA
Northwest of Mariana Islands

 大気を切り裂く飛翔音。

 直後、紅蓮の火の玉が視界を圧した。

「『アマギリ』轟沈ッ!」

 血を吐くような見張員の報告を聞くまでもない。敵弾を受けた駆逐艦『アマギリ』は艦中央から文字通り爆発四散した。おそらく発射管の魚雷がまとめて誘爆したのだろう。

「おのれッ! 機関増速、常間隔を維持せよ!」

 友永幸志郎中佐は関節が白くなるほどの力で双眼鏡を握りしめながらも、冷徹に命令を下す。彼が指揮する駆逐艦『サギリ』は、僚艦が散華した海面を踏み越えるようにして突撃を継続した。細かな浮遊物と油膜の混ざった沈降渦でしかなくなった『アマギリ』の名残に、短く敬礼を送る。

再び双眼鏡を構える友永の視界に、引き伸ばした髑髏しゃれこうべのような異形が映る。その表面は鯱か鯨にも似て生物じみた黒光りをしているが、軍艦にも匹敵する大きさと凶悪な兵装を備えた生物などおよそ聞いた事がない。かつて酒席で『鬼畜米英何するものぞ』と気炎を上げたこともあったが、文字通りの鬼・畜生と砲火を交えているという事実は、今この瞬間においてすら何か悪い冗談のように思えてならない。

「右舷敵群接近! 巡洋艦級2、駆逐艦級3、距離6500!」

 先程から砲火を浴びせてきているのは、まともな隊形も取っていない、艦隊というより『群れ』という表現が相応しい敵集団である。だが、敵の砲弾は威力こそ友永の知る艦載砲の範疇にあったが、射撃速度と精度が尋常ではなかった。奴等はまさに『生き物めいた』滑らかさで運動し、攻撃を繰り出すのだ。

 仮借なく飛来する敵弾が、またしても目前をゆく僚艦の脇腹を抉る。

「『ユウギリ』被弾!」

「取舵10、後続に伝達!」

 『ユウギリ』の被弾位置が機関部付近の舷側であることを見て取った友永は見張員の報告を待たず、咄嗟に指示を下していた。艦体容積の多くを占める機関部、その半分に一挙に海水が流入すれば――果たして『ユウギリ』は急激に速度を落とし、右舷に傾斜しながら旋回に陥り始めた。当て舵は取っているだろうが、焼け石に水だろう。僅かに進路を変えた『サギリ』はその左側を追い抜いていく。

「右舷、『ユウギリ』落伍していく!」

「舵戻せ。陣形に戻り、常間隔につけよ」

 臨機応変な機動を交えながらも、決して陣形は崩さない。水雷戦隊の各艦が『火のような錬磨』と鍛え上げた艦隊運動の極致である。

「旗艦より信号! 『全艦発射用意』」

「水雷長!」

「目標、右舷前方敵戦艦級集団! 距離約7000、的速25」

 友永の唇から小さく、念仏のような響きが漏れ始めた。その右手指は精密機械のように動き、夢に出るまで叩き込まれた各種の公式を弾いていく。それは神仏への祈りなどではなく、破壊の算術であった。

「射法並進、方位角70。雷速45、開度3、馳走深度10、魚雷諸元入力開始」

「宜候、一番、二番、三番魚雷発射管、諸元入力開始!」

 小艦よく巨艦をも屠る蜂の一刺し、魚形水雷。しかし砲弾に比べればその速度はあまりに遅く、ただ発射するだけでは動目標への命中など期待できない。だが、多数の射線を槍衾となせば、そのいずれかが必ず目標に突き刺さる――

「魚雷発射準備よし!」

「旗艦、魚雷発射!」

「発射!」

 相互干渉と誤爆を避けるための間隔を置きながら、圧搾空気で次々と発射される魚雷。水雷戦隊の生き残りが放つ魚雷は『サギリ』の9射線を含め、全体で50本を超える巨大な槍衾を作り上げる。これこそが、乾坤一擲の一撃として艦隊決戦を制するべく皇国海軍が研き上げてきた戦術、統制雷撃戦だった。

 数分の後。

 

「命中! 魚雷命中ッ!」

 見張員の叫び声におおっ、と艦橋がどよめく。魚雷は目標―味方戦艦戦隊と砲火を交わしていた戦艦級の大物―数体の下腹を見事に抉っていた。やや遅れて、400kg近い炸薬が立て続けに炸裂した衝撃波が海中そして艦体を伝わり、金槌で打つような硬質の振動となって友永の足裏に響く。

「やったか!?」

「敵戦艦級……主砲発砲!『こちらを見ています』ッ!」

 見張員の絶叫に耳を疑ったのは友永だけではなかった。魚雷を投射した水雷戦隊は即座に変針、既に離脱しつつある。迎撃用の副砲ならばいざ知らず、戦艦同士の撃ち合いを放棄してまで用済みの水雷戦隊に主砲の狙いを定めるなど、およそ常識では考えられない。

――そう、『人間の』常識では。

 次の瞬間、この世の終わりのような衝撃と共に友永の視界は爆炎で塗り潰された。

 敵戦艦級の主砲弾は『サギリ』の艦首を叩き割っていた。瞬間的な誘爆・轟沈こそ免れたものの、全速を出していた艦の運動量に見合った抵抗を受けた破孔は瞬く間に拡大。つんのめるように艦首が水没していく。艦体に響く異音に気付いた機関科の下士官が機転を利かせて独断で全速後進をかけ、艦の行き脚を殺していなければ、そのまま沈没していただろう。

 そんな『サギリ』を救ったのは、片腕片足の骨折をはじめ打撲裂傷は数知れずという満身創痍の友永が指揮した応急対策だった。ありったけの資材で前部の隔壁という隔壁を固め、手漕ぎポンプからバケツまで、あらゆる手段で昼夜兼行の排水に努めた結果、第1砲塔ごと艦前部が千切れるという損傷を受けながらも辛うじて沈没を免れた『サギリ』は、艦尾方向からの曳航が可能となった。

 敵の思考は人間のそれとは根本的に異質である。およそ戦術と呼べるようなものを持たず、ただ手近な相手に喰らいつくだけ。その意味では、よろばうような速度しか出せない『サギリ』の曳航はリスクの大きい決断だったが、労るようにその姿を覆い続けてくれた雨雲のおかげで戦域からの離脱に成功できた。

 かくして、多数の死傷者を出し、満身創痍となりながらも生還を果たした『サギリ』。

 だが、友永が海軍病院のベッドの上で受け取ったのは、『廃艦処分』の無情な四文字だった。

「……………」

 無言で踏み出す脚は、癒えたはずの傷を明確に知覚する。

 営門を抜け、鎮守府へと還ってきた友永。

 だが、彼の心の一部は、今も南溟の何処かを漂っている。

鉄の揺籃

 試験の中には、わざと奇問・珍問をぶつけて想定外の事態への対処能力を見るものがあるという。

 これはそうした類の試験なのか、それとも何か精神の病気を疑われているのか。

 一人一部屋を割り当てての試問。その設問は簡潔だった。

『箱の中にあるものを描け』(15分)

 この設問に、猜疑と困惑を攪拌機にかけてぶちまけたような渋面のまま、友永は眼前の物体を凝視した。

 観音開きの扉が付いた、ミカン箱ほどの木箱。その蓋を開いてみたら、その中に鎮座していたものは、

「でち?」

……と小首を傾げた小人であった。見たところ二頭身半、女学生のようなセーラー服を身に付けている。これが子供向けのセルロイド人形、あるいは舶来のベビードールだというのならまだ救いがあったのだが、

「……でち!」

 くるりと一回転すると、『さあ描け!(ドヤァ)』とばかりに婦人俱楽部の表紙のようなポーズまで取ってみせる。

「……………」

 ほとほと困り果てた友永の耳に、隣室の騒ぎが漏れ聞こえてくる。

『貴様ァ! 俺に喧嘩を売っておるのか!? 返答次第では……斬るッ!』

『信じて下さい! 自分は!自分は大丈夫でありますッ! 自分はァァ……』

 怒声や涕泣。どうもこの試験は自分だけの特別コースではないようだ。

 もういっそ白紙を提出して帰ろうかとも思ったが、それを実行するには友永の性格は実直に過ぎたし、この名状し難いモノを描写するだけの文才も持ち合わせてはいなかった。

「(左遷の口実なら、もう少しマシなものがあるだろうに……)」

 ええい、ままよと友永は鉛筆を走らせる。一度意識を集中させれば、制限時間は瞬く間に過ぎた。ご丁寧に『バイバイでち〜』と手を振る小人を見なかった事に出来ないかと思いながら蓋を閉じると、裏返した答案用紙を机に残して退出する。

「(まぁ、これで待命仰せつかる事になるとしても……)」

 制帽を目深に被り直しながら、友永は溜息をついた。

「……ポンチ絵師で身を立てるのは、止めておいた方が良さそうだ」

 予備役編入の心配は杞憂に終わった。

 数時間後、呼び出された部屋で友永を待っていたのは鎮守府司令と参謀長であったからだ。

 開口一番、司令は告げた。

「君に、新兵器からなる戦隊を任せたい」

「新兵器、でありますか」

 友永は怪訝な表情を浮かべた。その新兵器とやらは、駆逐艦長であった自分と何の関係があるのか? そもそも戦隊司令とは将官をもって任じるものではないのか? そして先程の奇怪な試問と何か関係があるのか? 一気に噴出した疑問をどれから口にしたものか咄嗟に判断がつきかねる。

「『深海棲艦』――奴等に対抗するためには『これまでにない兵器を用いて戦争をしなければならない』。そう上層部は考えている」

「君も参加した『溟号作戦』の戦訓だ。あの作戦で我が軍は敵深海棲艦隊に決戦を挑み、確かに損害を与えた。だが――」

 参謀長は吐き捨てるように続けた。

「その戦果は、何の役にも立たなかったのだ」

「何ですと!?」

 思わず気色ばむ友永を、参謀長は片手を挙げて制する。

「奴等は人間ではない。一度や二度の決戦に勝ったところで厭戦気分に囚われたりはしないし、講和を仲介してくれる第三国も存在しない。対する我々は、勝ったとはいえ被害甚大――これでは国が保たない」

「実際、皇国は既に死に瀕している」

 司令は重々しく息を吐くと、壁面の地図に目を向けた。

「今や、北米航路は言うに及ばず、南方航路もほぼ途絶。大陸どころか半島との連絡さえ覚束ず――その意味は解るだろう」

 友永は絶句した。海外からもたらされる資源あっての『皇国』であり、その資源の窮乏こそが、一度は世界を相手に戦端を開く事も止むなしと決断しかけた理由の大部分であったからだ。

「それで――その『新兵器』とは何なのです」

 司令は数枚の書類が綴じられた書類挟みを差し出した。

「辞令と許可証だ。記載の特秘ドックに赴き、『艦娘』を受領せよ」

 その施設は、鎮守府の外れに設けられた隔離区画にあった。友永の記憶が確かなら、かつて新型戦艦建造のために計画されたものの、予算不足から完成の目処すら立っていなかった6号ドックの建設予定地があった辺りだ。

「ここが特秘ドックか」

 司令部への出入りよりも厳重な警備を抜け、ようやく目にしたそのドックは――空だった。なまじ巨大な空間だけに、余計にその空虚さが際立つ。

「それで、何処にあるのだ? その『カンムス』とやらは」

「これから建造するのです。ここで」

 事もなげに言ってのける案内役の従兵に、友永の口がぽかん、と開いた。

「進水どころか、起工もしていないだと!? それで一体俺に何をせよと言うのだ!」

 友永の常識では、新型艦を受領するということは艤装員長を拝命することだった。艤装員長は進水した半完成状態の船体への各種艤装を監督して竣工させ、そのまま初代艦長に就くのが通例だからだ。その常識と眼前の光景のあまりの落差は、もはや不備や手違いと言った次元の話ではない。根本的に何かが間違っている。

 憤慨する友永をよそに、従兵はドックに通じる階段を示した。

「こちらへどうぞ」

 ドックの底には、小さな祭壇が設えられていた。起工式と言われれば、そう見えなくもない。

 ややあって、ドック壁面に仮設された階段を神職風の衣装に身を包んだ一団が降りてくる。

「ではこれより、起工の儀を執り行いまする」

 個人宅の地鎮祭でももう少し参列者が多かろうに、と益体もない感想を抱く友永をよそに、神職は高らかに祝詞の奏上を始めた。

――真秀に高く尊き処と此の処を斎き定め、神招に招ぎ奉る――

 長唄のような独特の抑揚と共に滔々と続いた祝詞が終わると、神職は友永に玉串を勧めた。うろ憶えの作法を思い出しながら玉串を受け取ると、祭壇に進み、深揖ののち玉串を奉奠する。奉奠とはいえ、実際には祭壇に置くだけなのだが――

『でし』

 拝礼のために一歩下がったところで、友永は目を剥いた。あの奇妙な試問で見たのとよく似た小人が祭壇の上で、今し方自分が捧げたばかりの玉串を掲げて胸を張っていたのだ。

「中佐、御拝礼を」

 傍らからのからの助言に、半日前の自分であれば軍刀の鯉口を切ったかもしれない。しかし、噴出しそうになる疑問をぐっと呑み込むと、友永は外から見れば完璧な二拝二拍手一拝の礼をとった。

『でし!』

 満足げに頷くと、小人は雀躍りしながら背後に向き直る。

『でし〜!』

『でち』『でち!』『でち』

 一体何処から沸いて出たのか、安全帽に作業服といった出で立ちの小人達が、わらわらと祭壇の後ろに集まってきた。玉串を振り回しながら祭壇上の小人が号令をかけると、一斉にドックの各所へと散っていく。事もなげにそれを見送ると、神職の一団は恭しく一礼してその場を退出していった。

「建造、開始されました。参りましょう」

 従兵に促されて、友永はドックを出る。振り返った時には、既にドックには盤木らしきものが並び始めていた。

「これは……とんでもない代物だな」

「『百聞は一見に如かず』と司令は仰っておりました」

 確かに、これを説明するのは無理だと友永は得心した。この目で一部始終を目撃した友永にしてからが、このドックに立ち入る前の自分自身を説得する術を思いつかない。

 ふと、海側に積まれた屑鉄の山に目が留まる。

「これは?」

「建造用の鋼材、その原料であります」

 その屑鉄の山の一角に無造作に転がる、ぶつ切りにされた魚のような塊に、見憶えがあった。剥げかけたペンキで大書されたカタカナの『サ』。その一文字から、屑鉄の断片が友永の脳裏で往時の形を取り戻していく。

「『サギリ』――ここにいたのか」

 思わず駆け寄って錆の浮いた鉄肌を撫でる。それはかつて友永が指揮し、苦楽を共にし、そして――死線を潜った艦、その成れの果てであった。大破しながら辛くも帰還を果たしたが、その廃艦処分の報せを友永は海軍病院のベッドの上で聞いたのである。

「生まれ変わるのです。中佐の艦娘に」

 従兵の言葉は、ただの気休めか追従か、あるいは――

「俺の、艦娘……か」

 困惑、疑念、不安、猜疑、憤怒、悔恨、そして――希望。先程とは別の意味で説明のつかない絡み合った感情を抱きながら、友永は愛艦の残骸をもう一度だけ、撫でた。

「――行こう。俺にはまだ、知らねばならんことがあるようだ」

「はっ」

 踵を返す友永の背後で、玩具のような、あるいは鼓動のような鎚音が響き始めていた。


(2014/01~02月執筆分を改訂)
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