Voyage.06「始動」
■はじめに
このカテゴリにある一連の記事は、『艦隊これくしょん -艦これ-』(DMM.com/角川ゲームス)の二次創作小説となります。
なお、作中の世界観、キャラクタ等に関する解釈・表現は、あくまで個人的なものであることをお断りしておきます。
上記を了解の上、ご清覧頂ければ幸いです。
■
その夢は、いつも闇の中から始まる。
「――ッ!」
悲鳴にも似た兵の叫びに振り向けば、闇色の海面を蹴立てて進む、小山の如き異形。
それは、凶悪な火器を振りかざした生物なのか、肉に埋没した兵器なのか。その答えは識り得べくもない。
その中枢で、『それ』は吼えていた。
砲煙をその身に纏いながら、おどろに乱れた髪の下に、鬼灯にも似た光を炯々と湛え。
違えようもない敵意と怨嗟の喚叫が、聴覚を経ずに総身を―あるいは魂を―貫く。
そして、視界を紅蓮が塗り潰し、闇に落ちる。
ひしゃげ、引き裂かれる鋼鉄の悲鳴。
滔々と足元に満ち、粘りつくのは潮か血潮か。
水底に引きずり込まれるような息苦しさの中、必死に足掻く手に手応えはなく。
せめてもの抗いに、食いしばった歯の隙間から唸り声を絞り出すが、虚しく掠れ消えるのみ。
やがて、総ては闇と静寂に圧し潰される。――それまでの夢ならば。
――大丈夫。
鈴が転がるような、一声。
その清冽さが、闇を祓う曙光となって響く。
柔らかくも深い菫色を、その肢体に纏い。
白無垢の飾り襟に綺麗に揃った髪先を揺らしながら、たおやかに佇む娘の姿。
もう、大丈夫。だから――
桜色の唇が紡ぐ次の言葉が、霞の向こうへと溶けてゆく。
私の―――に、なってください。
友永幸志郎中佐は寝床で目だけを見開いた。悪夢の割に、寝姿に乱れは少ない。
「............。」
今し方観た夢を反芻しようとするが、その断片を思い浮かべるそばから、砂が崩れるように夢の像はかたちを失ってゆく。
朧の向こうに溶け消えた夢の残像を掘り起こそうとしたその瞬間、起床ラッパの吹鳴が友永の身体を叩き起こした。
叩き込まれた生活習慣の賜物か、無意識の動作でベッドを整え、作業着に身を通す。支度が調った頃には、最早夢のことなど綺麗さっぱり吹き飛んでいた。
そして、今日もまた新たな一日が始まる。
■新編・第一三〇戦隊
辞令の文面は簡潔であった。
「海軍大佐ニ任ズ」
辞令に記された日――すなわち本日付をもって、友永幸志郎は海軍大佐となった。ここまでは通常の昇進人事である。
問題は、いま一通の辞令の方にあった。
「第一三〇戦隊司令ヲ命ズ」
聞いたことのない部隊名だった。航空機部隊ならともかく、水上艦艇を擁する部隊で桁が三桁に飛ぶというのは異例である。
しかし、それよりも異例なのは、それまで一介の艦長―それも昨日まで中佐であった―に過ぎない友永が司令官に補職されるという事態であった。
単に階級上の問題ということではない。駆逐隊や潜水隊のような小規模な部隊ならば、大佐をもって隊司令に任ずる例はある。しかし、複数の艦からなる『部隊』を動かす司令官職は、幕僚など必要な経験を積んで初めて任じられるものであり、艦長を突然横滑りさせるというのはいかにも乱暴な話である。
「つまり、『これまでにない戦争』、その第一歩といったところだ」
型通りに拝命したまではいいが、どうにも疑念を隠しきれないといった体の友永に、鎮守府司令は大仰な笑みを浮かべた。
「関わる人間が極少数でも稼働することが『艦娘』の大きな特長だ。ならば、これを扱う側も少数精鋭がよい」
言外に『君こそは選ばれた精鋭なのだ』とちらつかせる婉曲的な社交辞令を無表情に受け流しながら、友永は姿勢を正した。
「不肖友永、微力を尽くします」
辞令を受け取ったところで、友永の戻る部屋が変わったわけではない。
新編の戦隊という触れ込みながら、在籍する士官は司令官の友永ただ一人。その居城も、相変わらず殺風景なコンクリート造りの官舎、その一室である。
だが、決定的に異なることがひとつ。
「おはようございます」
殺風景な部屋にはおよそ似つかわしくない、菫色の制服を纏った娘の姿。ぺこりと下げたその頭で、髪飾りから垂らした朱い飾り紐が揺れた。
「おはよう、羽黒」
年端も行かぬ娘としか見えないが、彼女が『艦娘』羽黒―一万トンをはるかに超える鋼鉄の艨艟を意のままに操る類い希なる存在―である。
第一三〇戦隊は、彼女ら『艦娘』をもって編成される。
「――あっ、大佐になられたのですね。昇進おめでとうございます!」
「ああ、有り難う」
友永が辞令と共に机に置いた、需品庫から受領してきたばかりの階級章を目敏く見付けた羽黒が顔を綻ばせる。
「第一三〇戦隊司令に任じられた。旗艦は『羽黒』だ」
「では――大佐が私の司令官になって下さるのですね。不束者ですが、どうかよろしくお願い致します」
「いや、そこまで畏まらんでも良いのだが......こちらこそ、よろしく頼む」
一体何処で覚えたのか疑いたくなる言い回しとともに深々と頭を下げる羽黒を友永は片手で制した。
「それで、第一三〇戦隊には私以外の艦は所属しているのですか?」
「ああ、今のところは――」
威勢の良いノックが室内に響き渡ったのはその時だった。返事を待つ間もあらばこそ、石目柄の型板硝子が嵌め込まれた扉が勢いよく開け放たれる。
「深雪だよ! よろしくなっ!」
セーラー服に身を包んだ、明らかに羽黒よりも幼いその娘は、元気よく敬礼を決めてみせた。
「じゃあ改めて......特型駆逐艦四番艦『深雪』、着任致しました!」
こほん、と咳払いなどしてから、深雪はやや鯱張った感じで敬礼した。
「第一三〇戦隊司令、友永だ。貴艦の着任を歓迎する」
「あの......重巡洋艦『羽黒』です。よろしくお願いします」
律儀に頭を下げる羽黒の周囲を、深雪は突如としてぐるぐる回り始める。
「あ、あの......?」
「すっげー! 重巡洋艦なんて初めて見たよ! いいなー、大人っぽいなー」
「そ、そんな......」
前後左右あらゆる方向から凝視され、頬を染めて俯く羽黒。一方の友永も、あまりに無邪気な深雪の振るまいに毒気を抜かれたように立ち尽くしていた。セーラー服を活動的に着こなし、やや癖のある髪の跳ね具合はおかっぱ頭に収まりきらない活力を感じさせる。くるくると移り変わる興味の対象へ常に全力で駆け寄っていくようなその雰囲気は、貰ってきたばかりの仔犬を彷彿とさせた。
「深雪、艤装の状態は万全か?」
「もっちろん! 絶好調だよ!」
よろしい、と友永は頷くと、二人に告げた。
「では、第一三〇戦隊は、明日1200時をもって哨戒任務に出撃する。各自準備にかかれ」
「了解!」「了解しました」
「......もっとも、たった二隻では『戦隊』というのもおこがましいかな」
「そんな事はありません」
冗談めかした友永の一言に、羽黒は静かに首を振る。だが、続く小さな呟きは、誰の耳にも入ることはなかった。
「(私が最後の任務に臨んだ時も、たった二隻の『戦隊』だったんですから......)」
■戦闘哨戒
哨戒任務に出撃した第一三〇戦隊は、艦隊運動の訓練を行っていた。
「......よし、縦列に戻れ」
{りょーかい!}
それまで『羽黒』の斜め前方に占位していた『深雪』が、するすると後退しながら『羽黒』の後方につく。見かけ上の動きは単純だが、二隻とも第二戦速で航走しながらの運動である。微妙な速力の加減、転舵、定針と、実現に要する技量は馬鹿にならない。
「いいぞ。常間隔を忘れるな」
双眼鏡で『深雪』の動きを追っていた友永は満足げに頷いた。操艦への自信からかやや間隔を詰め気味な嫌いはあるが、動きのキレは申し分ない。ヒトの操艦で同じ練度を実現するなら、相応の訓練を積み上げねばならないだろう。
「しかし、『艦娘』とは大したものだな」
傍らに声をかけると、清楚な制服の上に武骨な艤装を顕した羽黒が「そうですか?」とでも言いたげに小首を傾げて微笑む。
{へへっ、私の実力はまだまだこんなもんじゃないよ!}
やや遅れて深雪の声も応じた。無論、深雪自身は駆逐艦『深雪』の羅針艦橋にいる。だが、『艦娘』達はそれぞれの艦に居ながらにして僚艦と『会話』することができるのだった。音質はさすがに電話並みではあるが、それを割り引いても画期的である。友永が感嘆している点もまさにそこであった。
それがどのようにして実現されているのかは興味があったが、羽黒が示した無電室に詰めている妖精さんを見て、友永は黙って扉を閉じた。モノ自体は電信や発光信号であり、人類が用いている技術と違わないらしい。ただ違うのは、やりとりの速度・密度。符号によって文字どころか音声の変調すら実現する異次元ぶりであった。
「――司令官さん」
片耳を押さえるようにしながら、羽黒が声を上げた。
「どうした」
呼びかけにしてはいささか丁寧過ぎではないかと友永などは思うのだが、それで羽黒の気が済むならと好きに呼ばせている。
「命令を受信しました。『巡洋艦級を基幹とする敵集団を発見。これを迎撃せよ』――位置は本艦の南南西、約80海里です」
「了解した。針路2-0-5、両舷第三戦速」
「宜候。針路2-0-5。両舷、第三戦速」
{了解! 敵はどいつだぁ?}
『羽黒』と『深雪』は、その針路を敵へと向けた。
「まもなく会敵します」
{かーっ! 初陣だぁ! 早く戦いたいぜぇ!}
冷静な羽黒に比べて、深雪の高揚ぶりは際立っていた。一種の躁状態といってもいい。
「......落ち着け、深雪。羽黒、敵の情報に続報はあるか?」
「友軍の駆逐艦が接触を維持しているようです。敵の編成はイ級三、ホ級一」
やがて、水平線上に小さな染みのような点が現れた。互いに反航しているためか、距離の縮まり方が早い。
「友軍艦から入電です。『コチラ第六駆逐隊......「イナヅマ」。敵急速接近。至急来援ヲ乞フ』」
「返信。『これより貴艦を援護――』」
前方からの入電に返信を命じようとして、友永は我が耳を疑った。
{......あー、見捨てて良い?}
『深雪』の艦橋では、それまでの躁状態が嘘のように死んだ魚のような目になった深雪がどんよりとした表情で肩を落としていた。
「ちょっ、深雪ちゃん!?」
僚艦の突然の戦意喪失に半ば恐慌を来しながら振り返る羽黒を後目に、『深雪』の艦体も機関部そのものがやる気を放り投げたように行き脚を落としてゆく。
「一体どういうことだ!? 親の仇が乗っているわけでもあるまいに!」
単なる反骨とは根本的に違う、あからさまなサボタージュに内心頭を抱えながら友永も叫ぶ。
{親の仇じゃない! 私の仇だッ!}
「クソっ、そういう処だけは同じか」
頭の血管がぶち切れたような深雪の叫びに友永は眉間を押さえた。友永の知る特型駆逐艦『ミユキ』もまた訓練中の衝突事故が原因で沈没しており、その相手こそが他ならぬ救援要請の主、『イナヅマ』だったのである。
「ねっ、深雪ちゃん! 辛いことは忘れて、ちょっとだけ頑張ってみよ?」
{羽黒ねーちゃんは衝突されて沈んだ事ないからそんな事言えるんだよ!}
「ううっ......」
腫れ物に触るような羽黒の説得はかえって逆効果だったか、ますます臍を曲げる深雪に羽黒がぐじっ、と潤み始めた双眸で友永の方を振り返る。
まったく、どいつもこいつも。
悟りの境地とやらがあるなら今すぐにでも逃げ込みたいと言わんばかりに、友永は深々と溜息をついた。
「深雪、『イナヅマ』を救うと思うな。深海棲艦に殺らせてたまるかと思え! 落とし前は後で着けさせてやる」
{......ホントに?}
訝しげな声で応える深雪に友永は一気に畳みかけた。
「急げ! このまま『イナヅマ』が沈んだら、何もしないで引き返すぞ!」
{りょ、了解! ちっくしょー、見てろよー!}
『深雪』が再度増速し、縦列を組み直す。
「司令官さん......すごいです」
「大したことじゃない」
両手を組んでキラキラと賛嘆のまなざしを送る羽黒に、友永はぞんざいに手を振った。
一戦する前にこの騒ぎとは、まったく先が思いやられる。
暗澹たる気分の友永とは対照的に、水平線に連なった青空は底抜けに晴れ渡っていた。
戦闘の展開は一方的であった。
『イナヅマ』を追い回すのに夢中になっていた敵艦隊が新手に気付いたのは、羽黒に旗艦を吹き飛ばされた後という有様だったからだ。
混乱から立ち直る間も与えず一隻、また一隻と討ち取られ、遅まきながら突撃を開始した最後の駆逐艦級も羽黒と深雪の集中射撃で蜂の巣になって沈んだ。対する二隻には損害らしい損害もない。
{コチラ『イナヅマ』。来援ニ感謝スル}
{おう! これから電文を垂れる前と後に『深雪様バンザイ』と付けろよっ!}
勝ち誇った深雪の口上はどうやら電文として先方に届いているらしい。気まずい沈黙が立ちこめる中、友永は疲れた表情で羽黒に手を振った。
「一度で良いから言う通りにしてやってくれと伝えてくれ」
{深雪様バンザイ。了解。深雪様バンザイ}
ノリが良いのか考えるのを止めたのか、戦闘詳報はおろか回顧録にも絶対残したくない気の触れた電文を垂れ流しながら『イナヅマ』が去って行く。
こうして、第一三〇戦隊はその初陣を勝利で飾ったのである。
■「明日」の価値
宿舎の自室。
消灯を間近に控えたベッドの中で、羽黒は深雪との会話を思い返していた。
「深雪ちゃんは、考えたことある? 私達がどうしてここにいるのか、何のために戦うのか」
んー、と難しい顔をして腕組みなどしていたのも束の間、深雪はあっけらかんと言い放った。
「ここには『明日』があるから、かな」
「『明日』?」
聞き返す羽黒に、深雪はあはは、と笑いながら答える。
「ほら、私ってば事故で沈んじゃったから。『明日』がある、それだけで嬉しいんだ。望んでも、決して手に入らなかったものだから」
口調こそ軽いが、その眼差しにはどこか慈しむような色があった。
「深雪ちゃん......」
その思いは、羽黒にも理解できた。無念を抱いたまま途切れた『あの日』の記憶。その先にだって、『明日』はあったはずなのだ。彼女がどんなに望んでも、決して手に入れることの出来ない、『明日』が。
「だから、私は精一杯頑張るよ。私が、皆が、『明日』の次にまた『明日』を迎えられるように」
「そっか......そうだね」
当たり前と思っていたことに改めて気付かされた思いがして、羽黒はしばし瞑目した。
「一緒に頑張りましょう。『明日』の次の『明日』のために。『明日』より良い『明日』にするために」
「ああ! 頑張ろうな、羽黒姉ちゃん!」
にかっ、と笑う深雪の笑顔が、羽黒にはいつになく眩しく見えた。
自分が何者なのかは、まだ分からないけれど。
――『明日』の次の『明日』のために。
――『明日』より良い『明日』にするために。
「(それって、『生きてる』ってことだよね)」
胸の奥に灯ったものの温もりを感じながら、羽黒は微睡みに身を委ねるのだった。
To Be Continued.
■あとがき
新年に合わせて、どうにか新章を開始することができました。
節目を逃すと機を逸するということで、『天長節までに攻略せよ』と無茶を云う参謀の気分がちょっと分かったような気がします(違
単艦から部隊へ、ということで、やっと艦娘が増えました。選択の理由は戦史ネタを気にしなくて済むという恐ろしく後ろ向きなものですが(汗、築地総統だって「目立ったエピソードがないから」と陽炎を主役にしてるので大丈夫でしょう。多分。
貯金を吐き出してしまった嫌いはあるのですが、あまり間を空けないで続きを上げられるように頑張ってみます。