Jun.20, 2006

童問以前の問い。

[Diary]

畏友アイダスキーのエントリより。

「なぜ人は人を殺してはいけないのでしょうか?」という問答があった。何かの機会に目にした時は、また馬鹿げたことを、と思った記憶があるけど、今も続いているのか?これ。

この問題は設問自体がナンセンス。真正面から答えを出そうとするのは馬鹿げている。だってこの質問は、

「『人が人を殺してよい』という論理が成立しないことを証明せよ」

……と言ってるんだから。世間ではこういうのを「悪魔の証明」と言うのではなかったか。

どんなに一生懸命理屈を積み上げても、「殺してはいけない」理由は即ち「『殺してよい理由』の否定条件」に過ぎないから、例外が存在すればその論理は成立しなくなるし、それはいくらでも新設できる。然るに、人間様は有史以前から様々な論理で殺し殺されしてきたわけで、これを全部網羅した否定条件を組み立てるのは有体に言って不可能だし、百歩譲ってそれが完成したとしても、前述の理由によって賽の河原の石積みよりもあっさりと突き崩す事ができる。解ってやってるなら意地が悪いし、無自覚ならば困ったもんだ。

ただし、だからといってこの問題について考えることは無駄だから思考停止しろ、と言うつもりはない。「人が人を殺す」論理は成立し得るとして、それがどういう条件の下でどれだけの妥当性を持つのか。その論理の下でどういうシステムが成立し、その機能からどのような成果が期待できるのか。そういった仮説や検証には充分意味があると思うから。

馬鹿げているのは、存在しないことが解っている答えを巡ってその否定ばかりに汲々とすること。

「人は人を殺してはいけない」などということはない。だが、しかし。この「しかし」の次にどういう論理を組み立てられるか。この問いに意味があるとすれば、まさにこの点なのではないか。私はそう思う。

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