Jan.26, 2014

Voyage.04「公試運転」その壱

[艦これ二次創作「菫色の暁」]

はじめに

 このカテゴリにある一連の記事は、『艦隊これくしょん -艦これ-』(DMM.com/角川ゲームス)の二次創作小説となります。

 なお、作中の世界観、キャラクタ等に関する解釈・表現は、あくまで個人的なものであることをお断りしておきます。

 上記を了解の上、ご清覧頂ければ幸いです。

2014/07/01追記:本文の改訂を行いました。改訂版は次のページからご覧頂けます。

出渠

 ぱんぱかぱーん!!

 自演のファンファーレと共に特秘ドックを踊り回る小人—どうやら『妖精』というらしい—達。

 太刀の切っ先にも似た艦首から、小山のように盛り上がった背負式の前部主砲塔群。箱状の艦橋構造物と一体になった誘導煙突の優美な曲線と均整の取れた後艢、後部主砲塔、そして艦尾へ。

 遠目にはスマートに見えながら、間近に見れば重厚さを秘めた『羽黒』の艦容だった。

「大物ですな。満載なら一万五千トンは堅いでしょう」

 既に特秘ドックは扉船への注水を終え、船渠そのものへの注水が進んでいる。何度か顔を合わせた艦政本部技官の感嘆に、消え入りそうな声が応えた。

「あっ、あの、ごめんなさい! 重くってごめんなさい!」

 僅かに頬を染めながらおどおどと身を縮こまらせているのが『艦娘』羽黒。可憐な少女としか見えない外見からは想像も付かないが、この艦体を意のままに操れる唯一の存在、とされるものである。

「(いや、そこは誇って良いところだと思うのだが)」

『彼女』を預かる身となった友永幸志郎中佐は野暮な感想を抱くが、ここ数日の付き合いで、羽黒が良く言えば大人しい、悪く言えばひどく臆病で人見知りな性格であることを学習している。何せ、初日などは声をかける度にびくついて会話を成立させるのも一苦労だったのだ。今でこそまともな受け答えができるようになっているが、それが友永の威厳や精悍さを欠いた十人並みの容姿の賜物であると知ったら本人の心中はいかばかりか。

 視線を『羽黒』の艦容に戻した友永は偽らざる感想を口にする。

「しかし——綺麗なフネじゃないか」

「—————っ!」

 穴があったら埋まりたい。真っ赤になった顔を両手で覆ってうずくまる羽黒は全身でそう主張していた。こうなったら暫く『戻ってこない』ことも既に学習済みの友永は、しばし技官との会話を続けることにする。

「……兵装は我が軍の規格に合ってるのか?」

「どういう魔法か知りませんが、我が軍の制式兵器そのものです。主砲は正八インチ、九三式に対応した四連装魚雷発射管四基、高角砲に各種機銃と対空火器も至れり尽くせりですよ」

「そいつは凄いな」

 皇国海軍の戦術思想からすれば、水雷戦隊そのものを率いて殴り込むことさえできる、堂々たる旗艦格の重巡ということになる。最精鋭と呼び声高い二水戦からも羨望の眼差しが注がれる事請け合いだろう。

『ドック水位、内外ともに一致。扉船開放準備良し』

「宜しい。扉船開放、艤装岸壁への回航準備にかかれ!」

 通常の艦であれば新造時にここまで造込まれた状態ではなく、艤装—機関、各種機器、兵装などの搭載—は艤装岸壁で行われる。これほどのフネがここまでお手軽に出来上がってしまう現実に、友永は目眩にも似た感覚を覚えた。

「——まったく、大したものだ」

 友永の呟きも、近付いてくる曳船の機関音も、今の『羽黒』にはまだ聞こえていないようだった。

陸の海軍

 海軍が預かることにはしたものの、『艦娘』の扱いは未だ暗中模索らしい。その存在が未知かつ極秘であるということもさる事ながら、『そもそもヒトであるのか』という一種哲学的とさえ言える問題には決着が付くかどうかも疑わしい。今頃法制局の官吏は胃痛と脱毛のどちらに悩んでいることだろうか。

「あの……中佐どの、書類が届きました」

「ああ、有り難う」

 法的解釈はどうあれ『艦娘』は現に存在するのであり、海軍は現実に対処せねばならない。そこで、艦体は書類上は『特設艦』として誤魔化し、艦娘は済し崩し的に軍属として扱うこととなった。名目上は戦隊司令およびその候補の秘書官、ということになっている。『こんな美人の秘書なぞ儂にすら付いておらん。有り難く思え』と鎮守府司令は笑ったが、その笑いの底にヤケクソじみた何かが燻っていたのを友永は見逃していなかった。

 友永に与えられた執務室で羽黒が秘書の真似事をしている理由はこのような経緯によるものであったが、秘書というのは実務どころか社会経験すらない娘に勤まるほど甘い仕事ではなく、その実態はせいぜい事務員見習いが良いところである。

 友永は羽黒から受け取った書類を一読する。定型の用箋に記された訓令は簡潔であった。

『—公試運転用重油官給ノ件—
 海軍横須賀工廠ニ於テ建造中の第肆號特設艦公試運転用トシ横須賀軍需部貯蔵ノ重油壱阡噸
 工廠ヘ仕付方取リ計ラフベシ
 尚現品仕付済ノ上ハ其ノ数量並月日報告スベシ
 右訓令ス』

「よし、これで燃料の当てもついたな」

「書類、凄いんですね……」

 起案して申請するもの、回覧、決済、訓令。執務が始まってから友永が処理した書類は数多いが、それは決して特別な事ではない。しかし羽黒の素直な驚き方に咎め立てする気も起きず、友永は苦笑した。

「海軍は組織だからな。命令がなければ油一滴手に入らんよ」

 当初は羽黒にどう接したものか悩んだ友永であったが、さしあたり『見学に訪れた姪っ子がお手伝いをしてくれている』とでも思って応対することにしていた。

「ともあれ、これで準備は整った。燃料搭載完了後、予定通り貴艦の公試運転を実施する」

「は、はいっ!」

 緊張の面持ちで羽黒は背筋を伸ばした。

出港

 艤装岸壁に接岸した『羽黒』には、すでに必要な物資が全て搭載されていた。燃料と缶水の搭載を確認してからはボイラーに点火して『蒸気を上げ』つつある。ただひとつ違和感があるとすれば、出港を控えた艦にあるはずの高揚にも似た喧噪がないことだろう。『羽黒』の艦上は完全に無人であり、これから乗り乗り込むのも責任者である友永と十名ほどの技官だけだ。

 舷側に架けられたタラップを昇ったところで、友永は舷門を前に足を止める。

「あの……?」

「重巡『羽黒』。友永幸志郎中佐以下十二名、貴艦への乗艦を希望する」

「あっ……」

 一瞬びっくりしたような表情を浮かべかけた羽黒だったが、身体の前に手を揃えると、はにかむように微笑した。

「はい、中佐どの。わたし——『羽黒』への乗艦を歓迎します」

『羽黒』の羅針艦橋に一歩足を踏み入れた瞬間、友永達は強烈な違和感を覚えた。

「これで、本当に完成しているのか? やはり艤装が足りないのではないか?」

 その疑問は無理もない。艦の頭脳、指揮中枢であるはずの艦橋は、本来あるべき各種機器を作り付けた制御盤や監視盤の類がほとんどない、空き部屋じみた空間に過ぎなかったからだ。

「大丈夫です」

 落ち着いた声で応えた羽黒は、艦橋中央、主羅針盤の前へ歩を進めると静かに目を閉じる。

「——艤装、展開します」

 瞬間、虚空から滲み出すように現れた蛍火のような燐光の粒が羽黒の肢体を流れ、包み込むように集まってゆく。光が収まったときには、羽黒の纏う菫色の制服にはそれまでの印象を覆すように武骨な具足じみたものが加わっていた。よくよく見ると、砲塔や魚雷発射管を模したような機械や、艦上構造物に似た細工にも見える。

「艤装展開、艦体との接続を確認。同調完了。これより各部点検を開始します」

 抑揚のない響きで羽黒がそう呟いた瞬間、艦全体に一斉に種々の機械音が満ちた。驚いた友永達が艦橋の外に視線を向けると、前甲板に据えられた三基の主砲塔が一斉に旋回と砲身の俯仰を行っていた。今や、艦全体の可動部という可動部が同じように動いているのだろう。その動作の滑らかさは、眠りから覚めた猫科の動物が欠伸とともに身体を伸ばす様を連想させた。

「——全艦異常なし。出港準備、完了です」

 静かに告げる羽黒の声に、これまでのおどおどした雰囲気はない。友永は懐から取り出した時計に目を走らせた。何事も定刻の五分前に準備を完了せよとは海軍の伝統だが、それどころではない早業である。

「自分の目で見てきても宜しいでしょうか?」

「ああ」

 狐につままれたような表情の技官達が艦橋を飛び出していくと、艦橋は友永と羽黒の二人きりとなった。

「本当に、この艦を自在に操れるのか?」

「はい。これが『わたし』ですから。この身体と同じように感じ、動かせます」

「外部との通信は可能か? 信号灯や旗旒信号は扱えるのか?」

「はい」

 淀みなく応える羽黒に、友永は唸り声を呑み込んだ。

「よろしい。曳船に信号、離岸支援を要請せよ」

 ほどなく、予め割り当てられていた二隻の曳船が近付き、曳航索が送られてくる。そういえば曳航索の確保は誰がやるのかと思い至った友永が甲板を見下ろすと、どこからともなく現れた妖精達がわらわらと投げられた曳航索に群がっているのが見えた。

「(やはり何度見ても慣れんな、これは)」

 軽く眉間を揉みながら戻ってきた友永に羽黒が告げる。

「曳航索、固定確認。タラップ取り外し完了。離岸準備、完了です」

「宜しい。離岸する。舫い放て」

「舫い、放ちます」

 羽黒が復唱した途端、前甲板の方から出港ラッパの音が響き始めた。誰がそのラッパを吹き鳴らしているのか、もはや友永は確認する気にならない。

 岸壁に艦体を係留していた係留索が解かれ、『羽黒』の艦体は曳船に曳かれてゆっくりと離岸していく。

「離岸、および曳航索の解除を確認。曳船、離れます」

 羽黒の報告に淀みはないが、友永は片舷ずつ身を乗り出して自身の目で安全を確認した。

「宜しい。機関前進最微速」

「宜候。両舷前進、最微速をかけます。針路、0-3-0」

 タービンが減速ギアに接続され、四軸のスクリューが回り始めるが、その滑らかさに友永は内心驚嘆した。いかに最微速とはいえ、雑音や振動といったものがほとんど伝わってこないのだ。『羽黒』の艦体はしずしずと港内を進み始める。

「前方、港口付近に友軍艦艇を確認、駆潜艇28号、駆潜艇32号です。駆潜艇28号より信号、『先導ス。我ニ続ケ』」

「公試の随伴艦だ。了解符を発信、両舷中速、28号に続け」

「宜候。両舷中速、駆潜艇28号後方、常間隔につけます」

 するすると危なげない操艦で羽黒は二隻の駆潜艇の間に入ると速度を合わせ、縦一列の艦列を組む。

「針路0-0-6、現在速度7ノット。港口を抜けます。駆潜艇28号変針、針路0-4-5」

「面舵、続航せよ。針路0-4-5」

「宜候」

 三隻はさらに真東へと針路を取り、ほどなく浦賀水道を南下するコースに乗る。

「……海はどうだ?」

 ふと、そんなことを訊いてみる。

「とても、気持ちいいです。でも……何だか船が少ないような気がします」

 羽黒は嬉しそうに応えながらも、何か違和感を感じたように表情を曇らせる。羽黒の記憶では、浦賀水道は国内屈指の交通量を誇る要路のはずだが、それにしては感じ取れる船影がやけに少ない。

「深海棲艦に海上交通をズタズタにされているせいだ。今や南方・大陸は言うに及ばず、国内航路ですら満足に維持できない有様でな。このままでは、我が国はいずれ縄文時代まで逆戻りするだろう」

 業腹だが、今の皇国海軍には内地における主要な海峡と港湾の周囲を死守するのが精一杯であった。そのため海運はおろか、漁業すら命懸けの仕事となっている。その意味するところは明らかであった。

「この国は——何処とも戦争をしていないんですよね?」

「貴艦の国—大日本帝国といったか—は、米英を敵に回して戦ったのだったか?」

「はい。帝国は連合国を相手に戦争を始め——滅びつつありました」

 羽黒は沈痛な面持ちで目を伏せる。彼女達『艦娘』が皇国でない別の日本、『大日本帝国』の記憶を持ち合わせていることは友永も知っている。その内容に注目する者もいたというが、彼女達の記憶は断片的な主観であり、その歴史を俯瞰することは容易ではない。だが、何度机上演習を繰り返しても動かなかった『対米開戦すれば勝算なし』という結論はいわゆる敗北主義の所産ではなかったようだ。

「あちらの戦争では、実弾の当たり外れも統裁官が弄ってくれるものだったのかな」

 友永の酷い冗談を理解できなかった羽黒が怪訝な顔をするのを、『忘れてくれ』と手を振って制する。

「我が日本皇国は、いかなる国にも宣戦布告をしてはいない。いや、できなかったのだ」

 敗亡を必至と識りながら戦いを始めた日本。戦争すら始められずに息絶えつつある日本。果たしてどちらが幸せな世界なのだろうか。

「(——悩むのは、生き残った後で良い)」

「……はい?」

 小首を傾げて振り向く羽黒に、友永は小さく首を振る。

「いや、何でもない。進路・速力このまま。公試海域に向かう」

「宜候」

 彼女が滅び行く皇国を救える存在たりうるのか。その答えは、誰にも分からない。

(つづく)

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