Voyage.04「公試運転」その弐
■はじめに
このカテゴリにある一連の記事は、『艦隊これくしょん -艦これ-』(DMM.com/角川ゲームス)の二次創作小説となります。
なお、作中の世界観、キャラクタ等に関する解釈・表現は、あくまで個人的なものであることをお断りしておきます。
上記を了解の上、ご清覧頂ければ幸いです。
2014/07/01追記:本文の改訂を行いました。改訂版は次のページからご覧頂けます。
■全力公試
「——前方一万、館山沖標柱を確認しました。針路、標柱間基線と一致」
「宜しい。第三次速力試験開始。機関一杯」
「宜候。機関一杯!」
凛然と復唱する羽黒の言葉と共に、艦体に響く機関音が一気に高まった。四基のタービンに吶喊の鯨波のごとき喚叫を上げさせながら、『羽黒』の艦体が計測区間へのアプローチを猛然と加速していく。
「標柱、通過確認! 計測完了!」
計測に当たっていた技官がストップウォッチを掲げるのを確認して、友永は次の指示を飛ばす。
「続いて緊急停止試験を行う。総員、急制動に備えよ。機関後進一杯!」
全速状態から全力後進をかけての急制動。横文字では"crush stop, astern"と呼ばれる、文字通り故障の可能性も厭わず行う緊急停止である。
「宜候。機関、後進一杯!」
艦に一瞬、脱力したような空走感が生まれる。突然逆回転に切り替えられたスクリューのプロペラに激しいキャビテーションが発生しているのだ。スクリューが自ら発した泡に呑み込まれている間、その推進効率は虚空を掻くがごとく低下する。だが、キャビテーションの減少と共にスクリューは推力を取り戻し、『羽黒』はその艦体を身震いさせながら急減速。やがて停止すると、そのまま全速後進に移行した。
「機関停止」
「宜候。機関、両舷停止」
ほっ、と緊張が解けたような吐息を漏らす羽黒に、友永は労うように言葉をかける。
「御苦労様。異常は出ていないか?」
「——はい。各部正常。異常、ありません」
一瞬何かを感覚するように目を閉じると、羽黒は柔らかな声で応えた。通常の艦なら、各部からの報告を纏め上げるだけでも一仕事になるというのに。手にした成績表に数値を記入しながら、技官が告げる。
「これで艦船公試、ほぼ全項目を消化しました。帰路に巡航速力の燃費計測を行います」
『羽黒』が一日がかりで行っていたのは公試運転のひとつ、艦船公試であった。艦の速力をはじめ、舵の効きから旋回半径、速度毎に変化する燃費に至るまで、その性能が詳細に計測される。設計の検証という面もあるが、そもそも艦の性能が把握できなければ艦隊など組みようがないし、補給の計画一つ立てられない。通常の軍艦なら、これだけでも一月がかりの試験である。
「了解した。成績はどうだ?」
「缶の温度・圧力などは集計中です。旋回試験の航路は漂流補正がまだなので、手元で概算できるのは……馬力がおよそ十四万四千、最大速は平均…38.33ノット」
「そいつは凄い」
もっとも、公試では燃料弾薬を満載していないし、故障覚悟の全力発揮と引き替えに叩き出した記録であるから、実戦にそのまま適用できる数字ではない。しかし、それらを割り引いても『羽黒』の成績は段違いに優秀であると言えた。友永が技官と共に投げた感嘆の視線を感じてか、羽黒は半ば照れたように俯く。
「宜しい。これより横須賀に帰投する。随伴艦に——」
はっ、と羽黒が何かに打たれたように顔を上げたのはその時だった。
「待って下さい! これは——救難信号です!」
■決断のとき
「救難信号? 確かか」
思わず聞き返す友永に、羽黒は耳を澄ますように目を閉じながら応えた。
「すごく弱い電波ですけど……識別符号、貨物船『呉羽丸』です。『我、敵ノ襲撃ヲ受ケツツアリ。至急救援ヲ請フ。現在位置……』繰り返しています」
「内容を司令部へ通報。救援を要請せよ!」
数分後、司令部から寄越された電文に友永は愕然とした。
「『時宜ヲ得テ適切ナル行動ヲ取ルベシ』だと!? そんな出鱈目な命令があってたまるか。一体何処のボンクラ参謀が起草したんだ!」
憤慨する友永に、羽黒は涙目になりながら身を縮こまらせた。
「ごっ、ごめんなさいっ! でも、電文の内容は間違いありません」
「あ、いや、貴艦が悪い訳ではないのだが……」
何となく罪悪感にかられたところで、頭が冷える。友永は押し黙ると、電文に込められた司令部の意図を推し量ろうとした。
この艦が公試運転中であることは、当然司令部も把握している。その内容が専ら航行性能を試験する艦船公試であり、この艦が未だ、兵装公試どころか機銃一発すら撃った事がないことも。
これまでの扱いからして、艦娘とは軽々に使い捨てできるような代物だとは考え難いが、大事な代物であれば即座に帰投を命じるはずだ。こんな曖昧な命令になるはずがない。
「(つまり、司令部はそれが『可能だ』と判断した上で命令を出している——?)」
「あ、あの……『呉羽丸』を救援できるのは、多分、私だけです」
おずおずと羽黒が口にしたのも、期せずして友永が考え至ったのと同じ内容だった。
だが——
「それは、貴艦の論理的判断か? それとも、願望なのか?」
「そ、それは……」
俯いて口ごもる羽黒。果たして、軍艦という『モノ』が、このような逡巡を示すだろうか。そもそも、こうした問いを投げかける事自体、甘えではないのか? そう思い至ったところで、友永ははっきりと自覚した。
——決断は、その責任は、自分こそが負わねばならない。
あらためて友永は羽黒に向き直る。眼前に佇むのは、武骨な艤装が加わっているとはいえ、華奢な肢体に菫色の制服を纏った可憐な少女にしか見えない。だが、その姿に縋ってはならない。兵器としての彼女が叩き出す常識外れの数値に、惑わされてはならない。
ゆえに、友永は羽黒に問うた。真っ直ぐに、その瞳を見つめて。
「救援に向かう場合、敵深海棲艦との戦闘が予想される。——やれるか」
羽黒は静かに息を吸うと、その右手を胸元に添える。そして、目を逸らす事なく、答えた。
「できます。『わたし』を——信じて下さるのなら」
友永は瞑目する。
「(『これまでにない兵器を用いて戦争をしなければならない』——か)」
この決断がその回答になるのかは、分からない。
だが、これは自分の決断だ。それだけは間違いない。
「これより『呉羽丸』救援に向かう」
決断的に告げると、友永は傍らの技官を振り向いた。
「君は至急、技官を集めて駆潜艇に移乗してくれ」
ところが、技官はニヤリと笑みを浮かべながら不敵に言い放った。
「残念ながら、その指示は承服しかねます。我々の任務は、公試成績の収集ですので——ああ、そう言えば兵装公試が少々前倒しになるかも知れませんなぁ」
友永は渋面を作るが、二度同じ事を口にはしなかった。
「羽黒、最大戦速。針路を2-2-5にとれ。全艦戦闘配置!」
「宜候。面舵、針路2-2-5。最大戦速。全艦戦闘配置!」
力強く復唱する羽黒の声音とともに、『羽黒』は轟然とタービンを唸らせながら疾走を開始した。
(つづく)