Jan.26, 2014

Voyage.04「公試運転」その参

[艦これ二次創作「菫色の暁」]

はじめに

 このカテゴリにある一連の記事は、『艦隊これくしょん -艦これ-』(DMM.com/角川ゲームス)の二次創作小説となります。

 なお、作中の世界観、キャラクタ等に関する解釈・表現は、あくまで個人的なものであることをお断りしておきます。

 上記を了解の上、ご清覧頂ければ幸いです。

2014/07/01追記:本文の改訂を行いました。改訂版は次のページからご覧頂けます。

『兵装公試』

「兵装の状況は?」

「主砲・高角砲・機銃とも、弾薬は定数の半分が搭載されています。魚雷は発射管に装填されていますが、全て模擬弾頭です」

「水雷戦はこの際忘れよう。砲戦用意。主砲、弾種徹甲」

「全主砲、徹甲弾装填します」

 羽黒の復唱と共に、前甲板に見える主砲塔群が一斉に砲身を揺らした。装填角度を取り、砲弾を装填しているのだ。

「前方に黒煙を発見しました」

 友永は羽黒が告げた方向に双眼鏡を向ける。

「煤煙ではない。小規模火災といったところだろう。針路、速度このまま」

 速度記録を出すために過負荷を厭わず出力を絞り出しているわけではないが、それでも『羽黒』の速度は35ノットに達している。水平線上に現れた黒い染みが一条の黒煙となり、その大元が姿を現すまでにさしたる時間は必要なかった。

「識別符号確認。貨物船『呉羽丸』です!」

 船首の波立ち方を見る限り、速度は精一杯出しているように見える。船上構造物に目を走らせると、救難信号の電波が弱い理由が分かった。マストが倒壊してアンテナ類がごっそり喪われているのだ。——と、その舷側に火花が弾ける。火線を辿ると、波間に見え隠れする異形があった。

「『呉羽丸』を攻撃する船影を二つ確認。これが——深海棲艦ですか?」

「雑魚だがな」

 深海棲『艦』というにはそのサイズは小さい。鯨だとすればかなり大型の部類に入るだろうが、37ミリ機関砲を背負って船舶に襲いかかるような鯨など、何処の事典にも載ってはいない。

「——撃破しますか?」

「出来るのか? ここから」

 思わず友永は聞き返した。駆逐艦級にも満たない雑魚であれば、確かに機関砲程度でも駆除できる。しかし、重巡の主砲では鶏に牛刀を用いるようなものだし、下手をすると『呉羽丸』すら巻き込みかねない。だが、羽黒の返答に迷いはなかった。

「俯角を取れば、高角砲の射界に収められます。誤射の心配もありません」

「宜しい。撃ち方始め」

「一番、二番高角砲、撃ち方始めます!」

 両舷で甲高い発砲音が立て続けに響くと、赤熱した点に見える砲弾の軌跡が海上を疾る。連装の高角砲が交互に軽快なリズムで砲弾を連射すること数発。着弾と炸裂が引き起こす水柱の中にその身を引き裂かれた異形が絶叫を上げながら倒立し、暴れながら海中へと没していく。

「目標、全て撃破しました。『呉羽丸』から信号。『貴艦ノ救援ニ感謝——』」

 友永は硬い声で羽黒の報告を遮った。

「このまま全速で東京湾に退避しろと伝えろ。まだ終わっていない」

 奴等は飢えた鮫のようなものだ。そして、雑魚に噛みつかれた船は血を流している。友永の経験からして——

「左舷前方に艦影です! これって……」

「現れたな。こいつらが『深海棲艦』だ」

 その異形に絶句する羽黒に、友永は鬼気迫る笑みで応えた。

 黒光りする体表。剥き出した歯列。虚ろな眼窩の奥に灯る、鬼火のような燐光。『それ』の有り様それ自体がこれ以上無く明快に主張する。人類への——敵意を。

「艦影4、『呉羽丸』後方約二万五千から接近中です」

「面舵10度、『呉羽丸』と敵の間に割り込み、頭を抑える。左舷砲戦用意」

「宜候、面舵10度、左舷、砲戦用意」

『羽黒』の主砲、連装砲塔五基十門の8インチ砲が一斉に旋回し、左舷前方を指向する。

「敵先頭艦に照準、最大射程に入り次第砲撃開始。いけるか?」

 公試どころか試射すら行っていない『羽黒』の砲戦能力は未知数であり、頼みは形式から推定される性能諸元しかない。だが、一対四という状況で貨物船を守り切るには、可能な限り早く敵を打ち減らすか、最低でも『羽黒』に注意を惹き付ける必要があると友永は判断した。

「全主砲、敵先頭艦を照準——」

 羽黒の瞳がすうっ、と遥か彼方に焦点を結ぶ。

「——主砲撃ち方、始めます」

「なに!?」

 いくら何でも早過ぎる。そんな友永の驚愕の声を、発砲の轟音と衝撃波がかき消した。

 発砲したのは各砲塔の一番砲。ほとんど最大射程一杯で放たれた『羽黒』の砲弾五発が目標に到達するまでには40秒近い時間がかかるが、その間にも敵は突進を続けてきている。未来位置を算出し、砲弾を命中させるのに必要な『砲術』の心得が羽黒にはあるのか。あまりにも無造作に放たれた一撃に、友永の内心に不安がよぎる。

 果たして——『羽黒』が放った砲弾は目標から大きく離れた場所に水柱を上げた。遠近もバラバラで、砲術屋ではない友永の目から見ても、とても命中を期待できるような弾着ではない。

「羽黒、一端砲撃を——」

 ところが、友永の言葉を待たず、『羽黒』は残る五門の主砲を発砲した。その砲煙が流れる間もなく、僅かに動いた主砲塔は即座に再装填済みの一番砲五門を発砲する。

「羽黒——」

 砲撃を中止しろと叫びかけて、友永は羽黒の表情に息を呑んだ。

 あくまで静かに、降り落ちる雪の一片を見守るような眼差し。事ある毎に怯え、涙ぐんでいたそれまでの弱気さは微塵も感じられない。

(できます。『わたし』を——信じて下さるのなら)

 あの時の羽黒の言葉を思い返し——友永は、黙った。

「目標、進路、速力とも変化なし。弾着——今」

 そう羽黒が静かに告げた瞬間、水平線に幾つもの火柱が立った。 

 発砲諸元——砲弾を命中させるのに必要な旋回角と仰角の組み合わせ。言うは容易いが、その算出に影響を及ぼす要素はあまりにも多い。彼我の距離、進路・速度から導かれる未来位置。艦の動揺、照準基点と各砲の装備位置の違い、風速、気温、湿度、砲身の状態、弾薬の品質、果ては地球自体の表面曲率に転向力。理論的にそれらを方程式に組み込む事は可能だが、それら全てを把握し、計算する事は事実上不可能だ。精一杯の精度で観測し、機械的に計算し、経験に基づく加減を行い、最後は確率的に捕捉する。それが友永の識る砲術の常識であり、限界だった。

 その限界を、羽黒はあまりにも無造作に打ち破ってみせた。

 恐らくは、一斉射の五門全てが異なる諸元の試射。その弾着を観測しただけで、羽黒は『敵集団そのものに対する諸元』を弾き出したのだ。そして、立て続けの二斉射。進路も速度も変えなかった敵は、その散布界に突っ込み——結果として複数の命中弾が生じた。それも二隻に対して。正8インチ砲弾が突き刺さり、その内部で炸裂した駆逐艦級の深海棲艦は二つに千切れ、あるいはズタズタに引き裂かれて海没した。轟沈である。

 羽黒を信じたその結果を、友永は見た。だが、信じられない。傍らの技官などは完全に茫然自失の体である。

 しかし、状況はまだ終わってはいない。

「敵艦2、変針を繰り返しながらこちらに向かってきます。距離、一万八千」

 残る二隻、駆逐艦級と軽巡級の動きが変わった。不規則な変針を繰り返しながら距離を詰めようとしている。それは戦術運動というより、獲物を狙う肉食獣じみた生々しい動きだった。

「——この艦の能力に気付いたか」

 敵の反応の早さに友永は唸る。確かに無駄は多いが、出鱈目な動きをされれば弾着に数十秒もかかるような遠距離砲戦で命中弾を出すのは不可能だ。そして、軍艦サイズの物体では回避の余地がないような距離まで斬り込まれれば、射程の有利は消失。こちらも損害は免れ得ない。

「だが、まだ退くわけにはいかん」

『羽黒』の速力ならば、闇雲に変針を繰り返して速度を落としている今の敵を振り切る事は不可能ではない。しかし、離脱しつつあるとはいえ『呉羽丸』の速力はどう頑張っても10ノットをいくらも超えない。今からでも再捕捉されてしまう可能性は高い。

「こうなったら、近距離砲戦で——」

 覚悟を決めたように硬い表情で顔を上げる羽黒に、待て、と友永は声をかけた。

「羽黒、左舷雷撃戦用意。二番、四番魚雷発射管、発射準備」

「えっ、でも魚雷は……」

 困惑したような表情を浮かべる羽黒に、友永は不敵な笑みを浮かべた。

「発射できるのなら問題ない。これから伝える諸元を入力、魚雷を発射せよ」

 生き残りの深海棲艦は不規則に針路を変えながら『羽黒』の左舷に迫りつつあった。『羽黒』の主砲塔はその動きを追って小刻みに動き続けてはいるが、撃っても当たらないことが『解って』いる羽黒は発砲できない。駆逐艦、軽巡級の深海棲艦が持つ砲は五〜六インチ相当。その有効射程まで、あと僅か。

『羽黒』が左舷に二基装備されている魚雷発射管を旋回させたのはその時だった。圧搾空気によって射出された魚雷が次々と海面に突入、航走を開始する。

「敵、変針。魚雷第一射、回避されます!」

 四番発射管からの四射線を難なく回避した敵は『羽黒』に追いすがるために速度を上げるが、さらにその針路上に二番発射管からの四射線が迫る。

「敵、さらに変針。魚雷第二射も回避されます!」

「そう、見えるなら——避けられる」

 友永の笑みが凶暴に歪む。本来発射訓練に使用し、使用後は回収するのが目的の模擬弾頭は鮮やかな色に塗られており、視認性は高い。さらに、友永は魚雷の馳走深度を限界まで浅く設定していた。高速かつ雷跡の視認が難しいという93式酸素魚雷の利点を自ら捨て去る愚策でしかない。——普通なら。

「撃ち方、始めますっ!」

『羽黒』の主砲、高角砲が立て続けに吼える。

 先の雷撃は、もとより命中を意図したものではない。むしろ命中して貰っては困るのだ。この雷撃は——

「命中確認、続けて撃ちます!」

——奴等の回避運動を制限し、砲撃を叩き込むためのものだったのだから。

 立て続けの命中弾を受け、深海棲艦は爆炎と金属質の喚叫を吹き上げながら沈没していく。

「敵艦全て撃沈! やりました——」

 羽黒はわずかに上気した顔に喜色を浮かべるが、双眼鏡を手に舷窓に張り付いていた友永は一瞥もくれずに大喝した。

「取舵一杯、急げ!」

「はっ、はいっ」

 突然の大声に身を竦めながらも、羽黒は命令通りに転舵する。次の瞬間、羽黒は『それ』に気がついた。

「これって……魚雷!?」

 沈みゆく敵艦が最期に放ったものらしいその雷跡が、『羽黒』を絡め取る投網のように押し寄せてくる。

「そんな……!」

 羽黒の思考が一瞬、停止する。一体どうすれば……

「落ち着け」

 友永の声に、一瞬恐慌に陥りかけた羽黒が我に返る。

「敵の魚雷は開進射だ。このまま雷跡に正対、隙間を縫え」

「で、でも……」

 口ごもる羽黒に、友永は振り返ることなく、しかし決然と、告げた。

「——貴艦なら、できる」

「……はいっ!」

 顔を上げた羽黒は、艦各部の光学機器に意識を集中する。

「(……見えた)」

 羽黒の視覚が、扇状に拡がりながら迫る雷跡を捉える。正対したことで相対速度が上がり、その距離はみるみる詰まってくる。いかに自在に操れるとはいえ、『羽黒』の運動性能そのものは大型艦のそれである。羽黒は、全幅20.7メートルの自艦をその隙間に滑り込ませなければならない。重圧に圧し潰されそうになる羽黒の脳裏に、つい先程交わした言葉がよぎる。

(できます。『わたし』を——信じて下さるのなら)

(——貴艦なら、できる)

「行きますっ!」

『羽黒』は速度を緩めることなく、雷跡の間に突っ込んだ。

「(……ここ!)」

 自分の感覚を信じて定めた目標に、針路を定める。他には何も、考えない。

 そして——

「雷跡、全て航過」

 永遠にも思えた数十秒から、解放される。思わず脱力しかけるのを羽黒は懸命に堪えた。

「戦闘、終了だ。機関原速、針路0-3-0。帰投する」

 大きく溜息をつきながら、友永は羽黒に向き直る。

「よく、やってくれた」

「……はい!」

 そのひとことに、羽黒は最高の笑顔で微笑んだ。

公試成績摘要表

「……やっと終わったか」

 書類捌きをさほど苦にしない友永ではあったが、今回の相手はさすがに大物だった。万年筆を置くと、疲労と達成感がない交ぜになった吐息を深々と吐き出しながら、凝り固まった肩を数度叩く。

 過日の戦闘は、公式には記録されていない。図らずもあの技官が言ったように『兵装公試』として処理される事になった。『魚雷一本で家が建つ』と揶揄される魚雷八本の『海没』など面倒な帳尻合わせはいくつかあったが、その辺りは乗り合わせた技官達が協力してくれた。曰く、『素晴らしい成果を見られた御礼』ということらしい。

「中佐どの、お茶が入りました」

「ああ、有り難う」

 そっと湯呑みを差し出す羽黒の居住まいも、どこか緊張の角が取れたように見える。

 一服を終えると、友永は羽黒に書き上げたばかりの書類綴りを差し出した。

「悪いが、これを鎮守府司令室に届けて貰いたい」

「はい」

 司令公室への道すがら、羽黒は友永から預かった書類綴の表紙に目を落とす。

「『軍艦「羽黒」運転公試成績摘要表』——?」

 自分の、成績表。羽黒は小走りに手近な建物の陰に駆け込むと、きょろきょろと周囲を見回し、人気が無いのを確かめてからそっと書類を開いてみた。

 表にびっしりと書き込まれているのは、様々な試験項目の成績値。読み進めるうちに何だか自分が裸に剥かれていくような感覚を覚えて、羽黒は一瞬身震いする。

 だが、この成績は彼女自身の記憶の証でもある。海原を駆け、そして、戦った。

「私——うまくやっていけるのかな、ここで」

 そんな呟きを漏らしながら、羽黒は最後のページを捲る。備考欄として、試験項目に関する条件や注記が列挙されている。そして、最後に記された『公試責任者所感』に、羽黒の目が吸い寄せられる。所感は、見覚えのある筆跡の一文で締めくくられていた。

——『羽黒』ハ、マコトヨキ艦ナリ。.

 舞い上がりそうな、微笑があふれる。

 羽黒は瞳を閉じると、書類綴りをぎゅっと抱きしめた。愛おしむように。

(このまま、時が止まってしまえば良いのに……)

 羽黒の意識が現実に帰還したのは、司令部からの督促電話を受けた友永幸志郎中佐が二時間に及ぶ捜索の末に彼女を発見してからの事だった。

 こうして軍艦『羽黒』は正式に竣工し、その艦首に皇国軍艦の証——桜花紋を戴くことになったのである。

 その航路の果てに何があるのかは——まだ誰も知らない。

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